鶴川に回遊するボール
2009-07-20 22:25:45 (14 years ago)

Vol.11 2009.7.20
丑久保氏が病で突然に他界され呆然・悄然としましたが、その後暫くして平成18年に北山泰斗も食道癌で他界し、私は右往左往しながら一周忌、三回忌の法要と個展と小さな画集を作りました。
次の回忌までに前二回の画集よりは纏ったったものを、そしてホームページもと考案している折に、お知らせがまいり、何やら云い知れぬ喜びと勇気が湧いてきました。我家にある丑久保氏の作品は大切に保管され、アトリエの何度かのリフォームにも健全な形を整えております。
私は丑久保氏の作品を観るたびに北山泰斗と激しく芸術論を戦わせていた様子や、時には少年のように拗ねていた時の様子、でも何時でも青年のような清々しさのある様子が眼に浮かんでまいります。唯今は北山泰斗の仏壇の周りで、これも既に他界されました元一陽会の会員のT.F.氏の猫像と、元一陽会員のK.T.氏の彫刻と共に、時には重なり合ったり、時には寄り添ったり、プイと離れたりして存在しております。屹度他界した3人はあの世でも逢って激論したり、許しあったりしていることでしょう。
M市 M.K.

我が家に抱えて帰ったボール
2009-07-16 19:49:04 (14 years ago)
自若
2009-07-14 19:57:56 (14 years ago)
銭形
2009-07-13 19:45:35 (14 years ago)

Vol.8 2009.7.13
丑久保さんと私は30年くらい前に知り合いました。ちょうど丑久保さんが文化庁の奨学生としてニューヨークにいらした頃のことです。
その後、丑久保さんが海にボールを置く計画を立て、なんとおもしろいことを考えるのだろうと思った私は、特大のボールをわけてもらえないかと丑久保さんにお願いすることになりました。その時のボールが写真左側の大きいボールです。私の父は美術品が好きでいろいろな作品を買い集めておりました。しかし、私自身がお金を出しても欲しいと思った作品は丑久保さんのボールが初めてなので、その時のことを今でもよく覚えているのです。
また、右側の小さいボールにもたくさんの思い出が詰まっています。20年前、私どもの銀座のお店「銭形」のビルの地下に、「親父の部屋」というギャラリースペースにもなる部屋を作りました。しかし、ギャラリーとしてだけでは成立せず、宴会のお客様も部屋に入れることとなりました。その時に丑久保さんから譲っていただいたのがこのボールです。作品としては小さいものですが、私にとってはこの木目の美しいボールこそが最高の作品だと思っていましたので、譲っていただいたときは大変うれしく思いました。
そしてお客様にもこの作品をじかに触れてもらおうと、「親父の部屋」に転がしておいたのですが、これが大失敗でした。冬場、畳代りに敷いたホットカーペットの上にボールを置いたのですが、木は生き物、熱によって作品が割れてしまったのです。これにはさすがの丑久保さんも怒りました。何とか作品の穴は埋めてもらいましたが、このときのことは今でも大変申し訳なく思っています。
いまはビルの改装などをした関係で、地下に「親父の部屋」はありませんが、お店はビルの4階と5階で営業しているので、これらのボールもそちらに展示しています。また、丑久保さんのその他の作品も階段などにたくさん飾ってありますので、ご覧になりたい方はぜひ一度、「銀座・銭形」まで足をお運びください。
以上、ボールの近況でした。
C区 Y.S.