家族を見守って
2009-07-02 22:08:01 (11 years ago)

Vol.3 2009.7.2
お手紙ありがとうございました。
「海のピース」が旅立ちをした外川港の写真を懐かしく拝見しました。
黒潮が流れる太平洋で、漁船から大海原に置かれたピースが
一直線になって進む風景は、心に焼きついております。
最後(108個目)のピースは丑久保さんでした。
ご縁があって、お預かりしていますピースはわが家で
家族を見守っていただいています。
おかげさまで、長女はアメリカに、そして長男は沖縄県に太平洋を挟んで
移住し、無事に自立しております。
家族4人で、ピースを運んだ船長を訪ねて20年が経ちました。
S市 R.K.
うちにあるボールは
2009-07-01 20:53:30 (11 years ago)

Vol.2 2009.7.1
うちにあるボールは、No.8の無限大∞です。
1.0.8のボールの中で、一番好きな数字をいただきました。
小さなギャラリーの中に、所狭しと置かれたボール。
見に来た人達が座る場所がなくて、
みんなでボールに腰掛けて
時間を忘れて語り合ったのを覚えています。
あの日、遠くからいらしていた、今は亡き三上浩さんが
泊まる場所がないというので、うちで良かったらと話したら、
丑久保さんがニコニコしながら、
ボールの値段から三上さんの宿泊代として
2万円引いて下さいましたっけ。
うちのボールは他の方の家にあるのに比べたら
かなり日焼けしていると思うのです。
あのボールが陽だまりにある風景が好きで、
いつでも我が家の一番良い場所に置いてあったからです。
気がついたら艶も褪せてしまっていて、
そのうち丑久保さんにメンテナンスをお願いしようかなと
話していた矢先、丑久保さんは帰らぬ人となってしまいました。
今回、丑久保さんの陸のピース108個のその後を辿ると知り、
我が家のギャラリースペースに、ささやかなコレクションを
並べてみました。
どれを見ても、丑久保さんの笑顔を思い出します。
U市 M.S.

《もうひとつの「陸のピース」展》 オープン
2009-07-01 20:26:00 (11 years ago)

Vol.1 2009.7.1
丑久保健一が最初のボールを彫ったのはいつのことだったのでしょうか。
34年前の1975年、村松画廊での個展の写真にボールがひとつ写っています。
1981年の宇都宮市文化会館でのシンポジウムの会場には5,6個のボールがステンレスの板の上に置かれていました。
1984年、宇都宮で初めてボールだけの個展が開かれました。その時はまだ108個にはなっていませんでした。
1987年ガレリアキマイラで108個のボールの展覧会が開かれました。1ヶ月の展覧会の後、6月10日、「一・〇・∞のボール 海のピース」は銚子沖の黒潮に置かれました。
その後作られた「一・〇・∞のボール 陸のピース」は展覧会の声がかかるとあちこちに出かけていきます。戻ってくると108個がひと塊になって静かに床に転がっています
丑久保健一が逝ってから7年近く経ちました。「一・〇・∞のボール 天のピース」の制作も進んでいるのではないかと思います。
このたびコレクターの皆様がお持ちのボールにホームページ上に集まってもらい、新しいピースをつくってみようかと思いたちました。
お送りいただいた写真とコメントを順次掲載していく予定です。
コレクターの皆様の許にあるボールはどのような時間を過ごし、どのような空間にあるのでしょうか。ある日ひょっこり天のピースが紛れ込んで来やしないかな。
《もうひとつの「陸のピース」展》 オープンです。
朧気
2009-06-21 09:53:14 (11 years ago)