6月10日
2012-06-09 09:00:00 (11 years ago)
6月10日はボール記念日です。
アトリエギャラリーには「一・0・∞のボール 陸のピース」の108個のボールが置かれています。
「一・0・∞のボール 海のピース」の108個のボールは、1987年6月10日 銚子、外川港沖の黒潮の上に置かれました。
その日はあいにく雨、海は大しけで漁船は一艘も出ていませんでした。港を出て2時間ほどすると黒潮に出ました。「着いたぞ」という船長さんの声と同時にエンジンが止まり、一瞬辺りは静まり返りました。海の色が一層濃くなりそこから黒潮なのだとはっきりわかりました。
それから25年経ちました。ボールの消息は聞こえてきませんが、太平洋がある限り「海のピース」の108個のボール達は海を回遊し続けていると思います。
その時のことを作家の立松和平氏が書いてくださった文章と黒潮に乗って旅立つボール達の写真をのせます。一時、太平洋の上に想いを馳せていただければ嬉しいです。
素材は地球
立松和平
丑久保健一さんにその計画を打ち明けられた時、この人はなんということを考えるのだろうとあきれたものだ。欅で丹精込めてつくった作品のボールを、太平洋に流そうというのである。黒潮にのせれば、北太平洋を北上して、アラスカからカリフォルニア沖を南下し、赤道反流にのっかってまた黒潮の源流に戻るという。つまり、海流にのって作品が太平洋を永遠にへめぐるというのである。
作品の数は、陸のピースが百八個、海のピースが百八個である。百八個を海に置くと、陸のピースと呼びあうという。何故この数かといえば、108はすなわちこうだ。「1」はは始源であり、「0」は無、そして、「8」は横にすると「∞」で無限を表す。つまり、この世のすべてを表現するというのだ。
百八といえば、仏教で人間の持つ煩悩の数のことだと教えるところだが、丑久保流の解釈ではわたしたちのいる世界のすべてだということになる。地球を彫刻するということにもなる。こんな大きな発想をする彫刻家を、他に私は知らない。
私は作品を海に「流す」といって丑久保さんにたしなめられた。ボールはあくまで「置く」のである。永遠の運動体へと木のボールを高めるのだから、確かに流すにではない。 置く現場に、私は立ち会うことができた。友人等数人で船を出して沖にいったのでは、仲間うちの自己満足になりかねない。そこで私はテレビ局の友人にはたらきかけて番組をつくり、全国の人々に目撃してもらおうとしたのである。
銚子沖の黒潮の波に置かれた百八個のボールは、列をつくって順々に旅立っていった。太平洋の巡礼のようだった。丑久保さんは地球を素材とした彫刻をしたのだ。百八個のボールには百八通りの運命が待ちかまえていたのだろうが、今も私の心の中に、そしてたぶんテレビを観た多くの人の心の中に、回りつづけているのだ。
丑久保健一さんは大きな大きな彫刻をなしたものである。
〈丑久保健一展 1992 アートフォーラム谷中 図録より〉
アトリエギャラリーには「一・0・∞のボール 陸のピース」の108個のボールが置かれています。
「一・0・∞のボール 海のピース」の108個のボールは、1987年6月10日 銚子、外川港沖の黒潮の上に置かれました。
その日はあいにく雨、海は大しけで漁船は一艘も出ていませんでした。港を出て2時間ほどすると黒潮に出ました。「着いたぞ」という船長さんの声と同時にエンジンが止まり、一瞬辺りは静まり返りました。海の色が一層濃くなりそこから黒潮なのだとはっきりわかりました。
それから25年経ちました。ボールの消息は聞こえてきませんが、太平洋がある限り「海のピース」の108個のボール達は海を回遊し続けていると思います。
その時のことを作家の立松和平氏が書いてくださった文章と黒潮に乗って旅立つボール達の写真をのせます。一時、太平洋の上に想いを馳せていただければ嬉しいです。
素材は地球
立松和平
丑久保健一さんにその計画を打ち明けられた時、この人はなんということを考えるのだろうとあきれたものだ。欅で丹精込めてつくった作品のボールを、太平洋に流そうというのである。黒潮にのせれば、北太平洋を北上して、アラスカからカリフォルニア沖を南下し、赤道反流にのっかってまた黒潮の源流に戻るという。つまり、海流にのって作品が太平洋を永遠にへめぐるというのである。
作品の数は、陸のピースが百八個、海のピースが百八個である。百八個を海に置くと、陸のピースと呼びあうという。何故この数かといえば、108はすなわちこうだ。「1」はは始源であり、「0」は無、そして、「8」は横にすると「∞」で無限を表す。つまり、この世のすべてを表現するというのだ。
百八といえば、仏教で人間の持つ煩悩の数のことだと教えるところだが、丑久保流の解釈ではわたしたちのいる世界のすべてだということになる。地球を彫刻するということにもなる。こんな大きな発想をする彫刻家を、他に私は知らない。
私は作品を海に「流す」といって丑久保さんにたしなめられた。ボールはあくまで「置く」のである。永遠の運動体へと木のボールを高めるのだから、確かに流すにではない。 置く現場に、私は立ち会うことができた。友人等数人で船を出して沖にいったのでは、仲間うちの自己満足になりかねない。そこで私はテレビ局の友人にはたらきかけて番組をつくり、全国の人々に目撃してもらおうとしたのである。
銚子沖の黒潮の波に置かれた百八個のボールは、列をつくって順々に旅立っていった。太平洋の巡礼のようだった。丑久保さんは地球を素材とした彫刻をしたのだ。百八個のボールには百八通りの運命が待ちかまえていたのだろうが、今も私の心の中に、そしてたぶんテレビを観た多くの人の心の中に、回りつづけているのだ。
丑久保健一さんは大きな大きな彫刻をなしたものである。
〈丑久保健一展 1992 アートフォーラム谷中 図録より〉